2024年08月27日

思考停止⇒楽≠幸福

20年ほど前に私が2年間講師を勤めたある私立学校での話。
そこでは定期試験の答案を束ねて回収するときに、必ずいちばん下に「白紙」を一枚敷いて担当の先生に渡すのが習わしになっていました。
いちばん下(出席番号が最後の生徒)の答案が汚れないようにという配慮です。
まあ分からなくはありませんけど、気にするほどのことでもありませんし、いろいろ渡り歩いている私の経験の中でも、そんな学校は他にありません。
あるとき、そこに長く勤めるある専任の数学の先生が、答案を受け取った時に、いちばん下にその白紙がないのを発見して、なんと“驚いたように”言いました。
「よく平気だなあ!」
「汚れないと思わないのかなあ?」
それを聞いて私はいささか違和感を覚えました。
「まあ、しきたりはしきたりとして、そこまでデリケートになるかな?」
「そんなこと普通だれも思わないけど!」
もちろんその先生は、はじめからその学校にいて20年も同じしきたりの中で働いているから、そうするのが「当たり前」になっているのでしょうけど、それよりも感じたのは、
「汚れる(からそうする)」
という「観点」と「意識」、つまり一種の〈思い込み〉が植え付けられているのではないか(?)ということ。
それによって、何とも思っていない外部の人間に対して、
「よく平気でいる」
という〈疑い〉あるいは〈誤解・曲解・無理解〉を抱いているのです。
そうです。
これがいわゆる【洗脳】なのです。
私は一瞬その時、
「一か所に長く居るって、怖いことでもあるんだ」
「本人は迷わなくて楽だろうけど」
と思いました。

前置きが長くなりました。(えっ?前置き?)
話はまた病院での姉との会話が発端です。
上述のことが頭から離れないためか、会話の流れの中で、何かの拍子に私が言いました。
「同じ一つの所に居るって怖いことなんだよ」
すると姉が、
「いいじゃない、幸せじゃない」
「その人は幸せなんだから、いいじゃない」
私はいつものように、間髪を入れず、
「それはダメなんだよ!」
以前にも言ったことがあるせいか、(組織における〈思考停止〉のことを)他でも聞いているからか、姉も私が何が言いたいかが大体わかっていると見えて、
「楽になるだけっていうことでしょ?」
「それで何がダメなの?」
というようなことを言葉を濁らせてボソッと言いかけたのですが、私がさらに捲し立てて、
「それだと《理解》がなくなるんだよ!」
と強く念を押したので、姉も意味がイマイチ解らないのもあって、噤んでしまいました。
実はそれには付け足しがあったのですが、言いませんでした。
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〔★こう言うつもりでした〕
「そういう人を幸せだというのは、カルト教に洗脳された盲信者たちが幸せだというのと同じなんだよ」
「幸せじゃないんだよ!」
「オメデタイんだよ!」
「スピリチュアリズムでは〈疑似天国〉って言って、地獄の一つなんだよ」【※】
「自分では良い気持ちで天国に居るつもりだけど、霊的には全然進歩しないんだよ」
「自分は慣れ親しんだ環境にどっぷり漬かっていい気分に浸っているけど、それはともすると〈理解がなくなる〉ことに繋がるんだよ」
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?日本における宗教団体がよく「カルト化」するのはほとんどこれが理由で、洗脳された盲信者は決まって他の様式の宗教を「否定」します。
《理解》がなくなるということは、自分の宗教に関してもその本質を理解していないということです。

姉は常日頃、
「どんな状況下でも、本人がいい気分でいればそれでいい、楽であればそれで幸せだ」
と言います。(姉は少なくとも以前、死んだら終わりの完全な「唯物論者」だったからです)
でもその「いい気分・楽」というのは、どこまでも〈感覚的〉なことです。
ですから楽なことは幸せだと言う理屈になるのです。
あくまでも「地上的」な幸せです。
もちろん〈思考停止〉は社会には「方便」としてある程度は必要です。
〔常識〕もそのためにあるわけで、神経をすり減らさずに、人とぶつからずに生活できます。
でもそれを徹底したからといって、その先に「平和」や「幸福」があるわけではありません。
真の幸福は「霊的」な幸せだからです。
地上の無駄な諍いや争いごとの原因は、ほとんどがその「省察」を怠ったことにあります。
月並みですけど、《幸福》は感覚の目で捉えるのではなく、魂の目(理性)で捉えるのです。
【※】以前にも取り上げましたが、〈疑似天国〉とは、幽界において、多数の信者の想念が作ったある宗教施設に毎日通って決まった儀式を通して礼拝をしている状態です。そうすれば天国に行けると信じて、満足感に浸っているのです。
posted by コウイチロウ at 03:02| Comment(4) | 霊的存在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の正体はわかりますよね。よく廊下ですれちがうときに「元気ですか?」と質問していた私です。
最近の長谷川さんのことを見かけないのですがお元気にしていますか?
とても心配です、、、
スピリチュアリズムな長谷川大先生の話をまた聴きたいです。
個人的には実際にお会いして話したいですが中々会える機会がないためここにコメントします。
ブログでも良いので近況の報告待ってます。
Posted by 少年M&E at 2024年09月22日 12:43
コメントありがとうございます。
誰かな?
CKの3年生かな?
最近私を「見かけない」ということは、事情を知らないのかも。
私は9月から別の学校で講師をしています。
仕事の内容が結構きつくて、なかなかブログを更新できませんが、思うところがあったらまた暇を見つけて投稿します。
Posted by 光一郎 at 2024年09月23日 21:38
返信ありがとうございます。
そうだったんですか、事情ってどうされたんですか??
Posted by 少年M&E at 2024年09月28日 10:06
詳しくは言えませんが、あることを切っ掛けに、私に居てほしくない雰囲気が伝わってきたので、4月の時点で1学期で辞めることを伝えました。
所詮私は非正規なので、20年以上それの連続で、それでいいのです。
まあ、気が向いたらまたブログを覗いて下さい。
Posted by 光一郎 at 2024年09月28日 12:57
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